「……ははははははははははッ……!!」
断末魔の高笑いと共に、炎の中に落ちていく金髪の覇王。
「曹操さまぁ〜〜ッ!!」
悲痛な声を挙げて、その後を追い死んでいく女将軍。
私が曹操と于禁と出会ったのは、そんな印象的なシーンであった。
……え? なんの話かって?
十数年前に製作された、某三国志アニメの話ですよん。
曹操は金髪パツキンの悪の覇王であり、于禁はひそかに曹操を慕う女将軍。
敵役(?)の孔明にいたってはアイシャドウを塗りたくった
色白の美形(?)軍師として描かれていたりする、
トンデモ作品なんだけど、知る人ぞ知る名作(迷作?)なので
意外とご存知の方も多いかもしれない。
真面目な話、私が三国志と出会ったのは、このアニメが初体験。
んで、その後も数々の三国志を扱った漫画や人形劇やゲームを
制覇していくこととなるのだが……。(小説は最後に読んだ)
……ここで声を大にして言いたい。
どーも于禁の扱いってひどくない?
横山光輝氏の漫画では、
関羽に「命を惜しむ犬っころめ、斬るにも価せぬ」なんて言われているし。
コーエイのゲーム、「決戦2」にいたっては、張飛にぶっとばされる真性オカマである。
ホームラン攻撃をくらって、空の星になっちゃう完全無欠のザコキャラ。
なんだって、于禁は女や犬やオカマにされてしまうのだろう?
その理由はたったひとつ。「関羽に降伏して命を長らえたこと」。……それだけ。
そう、たったそれだけの理由で于禁は後世にいたる笑い者となってしまったのである。
おまけに、于禁の場合は生前も散々笑い者にされたってんだから、救われない。
しかし、しかしだ。
実際の于禁は、
それはもう男の中の男ってカンジの剛毅なる武人だったのよ、これが。
ここでは、そんな于禁の名誉回復に挑戦してみたい。
とにかく生前の于禁は、大陸全土に名声を轟かせる剛将であった。三国志正史を記した陳寿も
「魏の五将軍の中では于禁がもっとも剛毅で厳格であった」
と記している。
実際、すっごく有能で、すっごく厳格な渋いオヤジ武将であったのは間違いない。
日本の戦国時代でいう、柴田勝家ってトコでしょうか。
はっきり言って、兵を率いる能力、いわば
統率力に関しては曹操軍の中でも
徐晃と並ぶトップクラスの名将である。
……以下、その一例ね。
張繍戦では全軍見るも無残な敗走の中、
于禁が率いる部隊だけは
整然と退却して戦死者は出しても逃亡者は出さなかったという。
特に、青州兵が火事場泥棒を働いた際にそれを攻撃してやめさせたのはポイントが高い。
青州兵って連中は曹操軍に組み込まれた元黄巾賊の兵達で、
とにかく戦争は強かったんだけど、それにチョーシこいて軍規を守らなかった問題児達。
于禁はそんな彼らの勝手を許さなかったのだ。
ところがぎっちょん、問題児達がそれでおとなしく引っ込むハズがない。
なんと曹操に于禁が裏切ったとデタラメを吹きこんだのである。
しかし、それを聞いた于禁は慌てて曹操に弁解するようなマネはしなかった。
黙々と張繍軍の追撃に備えて塹壕を掘り、陣地を再構築してから、曹操に謁見。
その落ち着き払った見事な態度と、義務を果たす男ぶりに対して
曹操は、
「古代の名将と言えども、これ以上ではあるまい」
と、文句なしの絶賛をしたという。
……ね、カッコイイっしょ?
しかし、そんな剛毅な于禁にもひとつだけ欠点があった。
厳格すぎた、のである。正史を記した陳寿からも
「于禁は進撃のときは先鋒をつとめ、帰還のときには しんがりを勤めた。
しかも、軍を保持する態度は厳格で、
賊の財物を手に入れても個人のふところに入れることはしなかった。
しかしながら、法律によって下のものを統御したから、
あまり兵士や民衆の心がつかめなかった」
と批評されている。そう、本当にそのまんまな人だったのだ。
于禁の旧友 昌稀が曹操に反逆を起こしたときのこと。
曹操は于禁を討伐に当たらせた。案の定、友人の于禁が来たと知り、
昌稀は戦意を失って降伏したのだが、于禁は
「貴公は二度までも、曹操殿を裏切った。
一度目は張遼がそなたを説得して命を救ったが、
二度目となるとそうはいかぬ」
と涙ながらに、軍規に照らして彼の首を跳ねたという。
そんな于禁だからこそ、曹操は彼をますます信用したのだが、
後に于禁のその厳格さが彼自身を苦しめることになるのだ。
そう、西暦219年 樊城の戦いにおける降伏事件である。
結論から言うと、関羽に投降して命を救われたエピソードはいかにも于禁らしくない。
どうにも潔くない、というか。
……むろん、剛将 于禁とて人の子。
死を前に意外な弱さを露呈して命乞いしたとて、責めるのは酷な気もする。
しかし、これとて
于禁が死を前にして命を惜しんだ、とばかり言いきれないかもしれない。
……というのも。
まず、樊城の戦いにおける敗戦は、于禁にとっては天災とも言えるものだった。
大雨により、洪水が起きた結果、高地に避難していた于禁を関羽が水軍を使って責め、
于禁としては手も足も出ない状況だったのだ。
于禁にとっては偶然の大雨、洪水によっての敗戦など
納得できるものではなかったのではあるまいか?
演義では関羽が水攻めを行ったとあるが、実際にはただの洪水である。
むろん、水軍を使えない于禁に対し、水軍に練達した関羽がまさっていたのは事実であるが……。
また、関羽自身が于禁に降伏して命を長らえることを薦めたケースも考えられる。
関羽もかつて曹操に降伏したことがあるし、
また曹操配下時代に于禁と関羽が親交を結んでいた可能性も高い。
性格的にも、けっこう似たもの同士なのだから。(苦笑)
そんなこんなで。
おそらくは、于禁も
「ここで死ぬよりも、もっとふさわしい死に場所があるハズ」
と考えて関羽に降伏したと思われるのだが。
……これが、やっぱり大失敗だったのだ。
まず、于禁とともに関羽に捕らえられた新参者の龐徳が
于禁とは対照的に潔く死を選んでしまったことが痛い。
これによって、于禁の評価はガタ落ちしてしまったのである。曹操すら、
「于禁を知って30年になるが、危機を前にして新参者の武将に及ばぬとは思わなかった」
と落胆してしまう始末。
さらに、関羽が呂蒙に倒された後は、
樊城の牢から出されて孫権に捕らわれてしまったことも救われない。
2重の意味で人質となってしまったのである。
……于禁の屈辱はいかばかりであっただろうか?
しかし。腐っても鯛、捕らわれても于禁。
人材宝箱の魏でもトップクラスの武将は、やはり孫権の目からも魅力的に映ったようだ。
……平たく言えば、孫権は一目で于禁を気に入ってしまったのである。
既に老将の域に達していた于禁ではあるが、
孫権は彼を手厚く処遇し、その後2年ほど手放さなかった。
馬に乗って出かけるときには、馬首を並べて于禁をともなうほど。
天下に鳴り響いた名将と肩を並べることが、たまらなく得意であったのかもしれない。
このあたり、江南の若き王者には子供っぽいところがあり、
また それが彼の魅力の一端でもあると言える。
ところが。
……そんな「誇り高い老人と無邪気な若者」の友情 が気に入らない、
性格の腐った野郎はいつの世にもいるものである。
残念ながら、呉にもいた。
「このジジイ、てめー何 チョーシこいてんだよッ。
捕虜の分際でうちの殿様と馬を並べるたぁ、どーゆー了見だよッ!!
馬から下りんかいボケェッ!!」
虞翻という、呉の学者である。このインテリ、
とにかく学者としては素晴らしかったが、それに反比例して性格は最悪であった。
かつて魏の大学者、孔融(←このオヤジもけっこう性格悪くて有名)に誉められたことが
虞翻を増長させたのであろう。
「食らえ、ジジイッ!!」
いきなり于禁の顔面を狙って鞭を打ち下ろそうとしたのである。
むろん、孫権がそれを許すはずがない。速攻で追い払われた虞翻であったが、
この外道は味をしめてしまう。
ジジイ虐めという、素敵な遊びを発見した虞翻の楽しい毎日がここから始まる。
于禁鞭打ち事件からしばらくして。
虞翻に言われた言葉を真に受けて落ち込む于禁に同情した孫権は、彼を船上での宴会に招く。
もともと酒乱で「今日は船から落っこちるまで飲むぜェーッ」とバカ騒ぎして
張昭に怒られるくらいの孫権であったが、この時ばかりは大人しく于禁と杯を傾け合っていた。
やがて楽隊が音楽を奏ではじめ、その胸に染みる旋律が于禁の望郷の念をさそう。
不覚にも于禁はほろりと涙を流すが、孫権はそれを見て見ぬふりをする。
……うう、いい話だ。
しかし。やっぱり。そんなベストタイミングを狙って、満座の席で于禁を罵るヤツがいた。
「ジジイッ!!
おめーは嘘泣きこいてまで同情を誘いたいのかよッ!?
……そこまでして釈放してもらいたいんですかねぇ〜?
うひゃひゃひゃひゃッ!」
……頼むから、孫権の気遣いを台無しにしてくれるなよ、虞翻さん。
そもそも相手は冗談が通じない于禁ジイサンなんだぞ。
ほら、思いっきり傷ついているじゃないかッ?
さすがに、こんなクソ野郎がいれば于禁にとって呉は針のムシロでしかない。
孫権は考えた。
…やはり、于禁のコトを思えばこそ。彼を魏に返してあげよう。
老将軍を手放すのはつらいけど、やっぱり厳格なる于禁には魏の鎧が似合うじゃないか…。
ああ、孫権、あんたホンマにええ人や。
西暦220年に曹操が死去してから1年後。
呉は魏と同盟を組み、于禁を本国に返すことに問題はなくなっていたのであるが、
孫権の決断は決して外交的な事情によるものだけではなかっただろう。
しかし。やっぱり。またしても。
そんなセンチな気分に浸る孫権に進言するド腐れ学者がいた。
「なに言ってるんすか、孫権さま。
于禁といやぁ、数万の兵を失って、自分は捕虜となり、
その屈辱にもかかわらず死ぬこともできないヘタレじゃないっすか。
あんなジジイを魏に返したとて、こっちには何の損害もありませんが、
たとえるなら盗人を放つようなもんですぜ? うへへへへッ!」
……おめーはいったい何様のつもりだ。
「……おっと、いいアイデアを思いつきませしたぜッ!
于禁を斬って捨て、臣の立場にもかかわらず
二心あるモノのなれの果てって、カンジで見せしめに斬首しちゃるんですよ。
わが軍の士気が上がること、間違いなしッ!!」
……もういい、黙れ。
孫権は、当然ながらド腐れ学者の言う言葉をキッチリ無視した。
こんなヤツにはシカトが一番だ。
虞翻の言葉に耳を貸さず、
群臣達を派遣して于禁を丁重に魏に送還させたという。
……しかし。やっぱり。またしても。最後まで。
もはやジジイ虐めが生きがいとなった虞翻が、ダッシュで于禁を追かける。
……まだまだイジメ足りないッ……
もっとあのジジイの哀しむ顔が見たいッ……うおおおおおッ!!
ようやく帰国の旅路につく于禁に追いついた虞翻は、最後の決め台詞を吐いた。
「おい、コラッ!! ジジイッ!
魏に帰っても、呉に人材がいない、とか言うんじゃねぇぜッ?
ジジイを斬り捨てよという俺様の策が用いられなかっただけだかんなッ!
しかと覚えておけッ!!」
……はあ。屈辱に耐える老軍人を痛めつけるヤツが人材ですか。
性格が腐っているだけでなく、目立ちたがり屋ときた。
てめーみたいな腐れインテリ、于禁がその気になりゃ、左手で殺せるっていうのに……。
しかし、こんな最低男を、ことあるごとに于禁は褒め称えていたという。
于禁からすれば、彼が自分を罵る言葉こそが、
于禁自身にとっての真実だったのかもしれない。
厳格なゆえに、自分を許すことができなかったのであろう。
……そこのとこ、想像すると凄く悲しくなる。
だが、于禁にとっての本当の悪夢は本国に帰ってからが本番であった。
曹操亡き後、
魏の二代目となり、さらに献帝から帝位を禅譲された曹丕が待っていたのである。
オヤジの冷血を120%引き継いだ、若き皇帝に見下ろされて
于禁は身も凍る思いであったに違いない。
髭も髪も真っ白となり、げっそりとやせこけた于禁は、
ひたすら涙を流して地に頭をつけて拝礼したと記録に残っている。
そんな于禁に対し、曹丕のかけた言葉は 意外にも慈愛に満ちたものであった。
「樊城での敗北は水害が突然 訪れたものであって、将軍の責任ではない。
よって于禁をもとの官に復帰させる。これからも、余のために尽くしてくれ」
寛大な処置、いやむしろ感動的な処置であったと言える。
そう、于禁に再び 武人としての死場所を与えてくれるというのだ。
于禁は、曹丕のこの言葉を聞くために屈辱に耐えてきたと言っても過言ではない。
于禁の流す涙が、感涙に変わったのは想像に難くない。
……が。むろん、冷血皇帝 曹丕様がそんなに甘いはずがない。
于禁に感動的な言葉をかけたのは、より于禁を苦しめるためである。
やがて、于禁に対して呉に使者として旅立つ任務を与えると同時に、こんな言葉をかけた。
「于禁将軍。
使節として呉に行く前に、父 曹操の墓に参って挨拶してくるといい」
むろん于禁が断るはずもない。
30年も仕えた主君へ霊前の報告をすることは、本人が何より望んでいたに違いないのだから。
……しかし。
于禁が曹操の墓に参拝した際に見たものとは
壁画に描かれた、1枚の絵。
そこに描かれていたのは、
樊城で関羽が勝ち誇り、龐徳が憤怒し、于禁が跪いて許しを得ている光景。
于禁がそれをどんな思いで見たのかは、想像するしかない。
しかし、なんとなく、目に浮かんでこないだろうか?
壁画の前で膝をつき、慟哭する老軍人の姿が……。
結局、それから間もなく于禁は面目なさと憤りのために病気にかかり、死んでしまう。
一徹な武人の心を弄んだなぶり殺しに等しい仕打ちであったと言えるだろう。
真面目で自分に厳しい于禁の性格を計算に入れた
悪魔のトラップ、大成功ッ!
……曹丕としては、こんなカンジでご満悦だったんだろうけど。
なんか これに関しては笑えない。
呉の誰かさん同様、本当に性格が腐っているよなぁ、冷血トカゲめ。
そりゃ、曹丕の美意識からすると、于禁を許せなかったんだろうけどさぁ。
……普通はそこまでしないと思う。
残酷さってヤツも君主の大事な条件なんだろうけど、ここまで見事にクリアされるとなー。
ため息が出てくるぜよ、曹丕サマ。
……結局、于禁の死後、三国志に注釈をつけた歴史家の輩松之は、于禁の死に方を
「当然の報い」
とし、逆に司馬光という歴史家の場合、曹丕が于禁に対して行った処置を
「もはや君主の資格すらない」
と批評している。どちらの意見を選ぶかは、人それぞれの好き嫌いに別れるのだけど。
個人的には、于禁に対しては
「ひたすら己にふさわしい死に場所を求めつつも、
叶えられなかった一人の剛毅な武人」
……というイメージを持っている次第。
史実においては、彼が魏でもっとも悲劇的な武将だと思うのだけどなァ。
なお、呉の虞翻は度重なる失言がもとで、孫権の怒りを買い、後に交州(今のベトナム)に流されています。
いやぁ、ザマーミロって感じ♪
……もっとも見方によっては、
虞翻って人も、于禁が認めるだけあって、なかなかの男ではあったようです。
このコーナーでは于禁を擁護すべく 思いっきり こき下ろしてしまいましたが
単なる弱いものいじめが好きな人、ってワケではなかったようです。
時には主君 孫権にも命がけでケンカを売った文系硬派。
興味があったら、是非 彼に関する列伝にも目を通してみてくださいね。
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