私評 『 呂布 』

孤高の餓狼は今なお、

鮮烈なる異彩を放つ
 

 個人的にかなり好きな武将。

 呂布の場合は、正史でも演義でも ほぼ同じように

 「圧倒的な武力を誇りつつも、目先のモノしか見えていない」


 といったカンジの人物として描かれています。

 正史と演義のギャップをあまり感じない人物の一人、であると言えるでしょう。

 なんせ
 正史の方でも、しょっぱなから董卓にそそのかされて
 丁原を裏切って殺害しちゃっているのですから。

 んで、その後
 董卓とは義理の親子関係まで結んじゃっています。

 とは言え、この当時は
 董卓も 「辺境の一将軍」としては、考えられないような出世を果たした
 バリバリの勝ち組でしたし。

 この「転職」、それ自体は悪い選択肢でもなかったと言えるでしょう。


 ……ところが。
 よせばいーのに董卓の侍女に手を出してしまって
 バレたらかなりヤバイ状況になってしまったんですね、これが。

 
 んで。
 
 一般にはあまり知られていないのですが、
 史実における董卓は、
 「下手こいたら、呂布ともいい勝負ができたんじゃないか」
 と思えるくらいの、個人的武勇の持ち主でもあったのでした。

 ぶっちゃけ、それはそれはオッソロシイ怪物だったんですよ、董卓って。

 暗殺者に襲われて、腹に短刀をぶっ刺されたにもかかわらず、
 その場で相手を片手で縊り殺した、というエピソードが残っているくらいです。

 ……しかも、腹に短刀が刺さったままの状態で。


 
 いかに呂布とて、こんなバケモノじみたオッサンに睨まれて
 心中穏やかでいられるハズがありません。

 んで。
 あっさり裏切って董卓暗殺計画に荷担しちゃうワケです。

 まぁ、
 呂布に言わせれば、
 「自己防衛」であったのかもしれませんね。

 

 ……しかし。
 しかしながら。

 他人の目から見れば、
 やはり「裏切り」以外の何物でもなかったりするんですよねー、これが…。

 そりゃー、確かにその当時は乱世でしたから。
 裏切りや騙し討ちも、日常茶飯事ではありました。

 
そう。
 別に、裏切りそれ自体は
 珍しいこっちゃなかったのです。

 ただ、そのぉ……。
 
 いくら乱世と言えど
 義理の父まで裏切っちゃうようなヤツは
 滅多にいないんですよね。

 
 ええ、さすがに。


 まぁ、そんなわけで。

 モノの見事に、周囲の人達から
 「アブなすぎる奴」というレッテルを貼られてしまい、
 すっかり信用されなくなってしまったのでした。

 ……で、ナイーブな心を持つ呂布は淋しさのあまり、
 思いっきりグレてしまうというお決まりのコースをたどります。
 ( もともとグレていたっていやぁ、グレてたんですが……)
 


 しかし、ここで落ち込んでみたところで始まりません。
 
 無理に信用を取り戻す努力などしなくとも、
 『地位』と『権力』さえ手に入れれば、イヤでも人は寄ってきます。
 
 そのあたり、呂布も充分に理解していたのでしょう。
 
 「へッ、どうせ俺ァ、不良だよ。
  こうなった以上、俺なりのやり方でのし上がってやる」

 とばかりに、開き直ったのでした。
 
 うんうん。
 ……やっぱり不良はこうでなきゃ。(笑)


 んで。
 決意の後は、行動あるのみ。

 董卓をぶっ殺した後は長安をゲット。
 いきなり天下人への最短コースをまっしぐら。


 凄いぞ呂布、頑張れ、呂布ッ! 

 
 ……しかし。
 どうやら、しょっぱなからツイてなかったみたいです。

 手を組んだ王允というジジイが最悪でした


 呂布と手を組んだ王允というジイサン、
 とにかく粛清が大好きなイカれ野郎だったのです。

 それはそれは見事な恐怖政治を実行し、
 董卓側の武将や臣下をガシガシ 殺してしまう張り切りぶり。

 おまけに思想や言語統制までしでかすのだから、なんとも気合いが入ってるとゆーか……。

 董卓の影響を払拭するためとは言え、
 董卓が死んだときに悲しんだという理由だけで
 当時 最も有名だった大学者の蔡 をぶっ殺すほどの、見境なしの容赦なし。

 周囲の人に、そのコトを非難されると、

 「あーゆーインテリを生かしておくと、
 後でワシにとって都合の悪いことを記されるかもしれんじゃないか!?」


 などと、真顔で言ってのけたとゆーのだから、恐ろしい事この上ありません。

 まさに、 クレージー・ジジイ です。


 んで。

 「うひひひ。次に粛清するのは……、
 董卓の子飼いの部下だった李カク・郭氾じゃぁッ!」


 と、たくらむ王允ジイサンだったのですが。

 当時、標的としていた「董卓残党組」に
 『 三国時代 最凶の軍師・賈
 が所属しているのを知らなかった事が、このジイサンにとって運の尽きでした。

 董卓と同じく、
 北の辺境の地 涼州を出身地としていた賈にとっては
 「涼州人なら、とりあえず殺しとけ♪」
 なんて殺伐ムードを作ってくれた王允には
 充分な御礼をしてあげたいところでもあったのでしょう。

 「あんの、ジジイ……。
  痴呆が破滅的な形で進行してやがる。
  ええい、いっそ殺られる前に殺っちまいましょうや♪
  李カク殿、郭氾殿 ! 」


 と、それはそれは魅惑的な献策を
 涼州への退却の準備にかかっていた李カク・郭氾の両名に進言したのでした。

 んで。
 さすがに、この当時は大陸でも 屈指の精鋭「涼州兵」を率いる男達です。

 賈に入れ知恵されたとは言え、
 李カク・郭氾が炸裂させた先制の奇襲攻撃もまた、見事なものでした。

 反転した彼らは、一気に長安へとなだれ込み、
 激烈なる市街戦を展開します。


 もはや、「董卓軍残党」というよりは
 「親分の仇討ちに燃える熱い男達」といった具合。

 なんせ、若い頃の董卓は
 戦功を立てた御褒美にもらった絹 九千匹を、ぜぇーんぶ配下の将兵に
 分け与えてしまうくらい気前のいい親分でもあったのです。

 その子飼いの部下達が、
 仇討ちに気合いが入らないワケがありません。
 
 「うぉおおおおおお!
  董卓のオヤッサンの無念は、ワシらが晴らしちゃるけぇのぉおッ!」

 「呂布の外道と王允のド腐レがぁ!
  タマとったらぁあああ〜〜ッ」


 ええ、まさに こんな感じ。

 どこぞのヤクザ映画に出てくるよーな連中が、
 手に槍やら刀やら持って、騎馬の大軍で突っ込んでくるのです。

 そんな連中を相手に、道をふさぐのは余程の覚悟がないかぎり、
 至難のわざであることは、もはや言うまでもないことでしょう。

 
 ……そんなこんなで。
 まぁ、当然の事ながら。

 粛清ジイサンこと王允と
 その相棒である呂布のために命を投げ出そうとするような
 奇特な兵士など、そうそう多くもなかったようでして。

 ついに、呂布も敗走を余儀なくされることとなるワケです。

 ……ちょっと長くなりましたが、呂布が李カク・郭氾あたりに負けたのは、こんな背景があったのですね。



 んで。

 「くっそぉ。王允のジジイは殺されちゃったし。
  ……まいったなぁ、これからどーしよ?」


 その後はプータローとして、呂布は大陸を放浪することとなります。

 普通に考えれば、彼ほどの武勇があれば就職先には困らないはずなんですけど
 どーにも ひとつのところに留まれない性格が災いするといった具合。
 
 袁紹の世話になりつつも、あっさり逃亡。
 袁術の世話になりながらも、やっぱり裏切り。
 曹操に従おうとしたけど、しっかり攻撃。


 目の前に城があったら欲しくなってしまう呂布なのですから。

 劉備にいたっちゃぁ、城から追い出してしまう始末。
 
 なんというか、
 北方出身で騎馬民族の血が濃かったと思われる彼からすると
 「略奪される弱いヤツが悪い」って感覚だったのしょう。
 おそらくは、漢民族とは感覚的なところが違っていたのではないでしょうか。

 もっとも、このあたりは結構 わかりやすい性格とも言えるのですけどね。(笑)

 自分の武に自信があるからこそ、
 ついつい その場の考えで動いてしまうコトが多かったのかもしれません。




 しかし、ここで劉備は
 「どら○もーん」とばかりに曹操に泣きつきます。
 

 ここにおいて

 「三国時代 最強の戦士 呂布」 VS 「三国時代 最高の戦争家 曹操」

 の好カードが実現するにいたったのでした。


 しかしながら。
 どうにも、この戦いは呂布に分が悪かったようです。

 「あんなバケモンと正面から戦ってられるか」

 とばかりに、曹操は籠城した呂布を水攻めを展開します。

 うーん、このあたりは
 軍師を腐るほど集めていた彼の苦労が報われた、
 と認めざるをえません。

 ちなみに、このとき「水攻め」を進言したのは荀攸 ・郭嘉の両名。

 まさに、スーパー軍師コンビ。
 ハッキリ言って、この件に関しては
 彼らを敵にまわした呂布が気の毒に思えるくらいです。


 やがて。

 呂布一味は、3ヶ月あまりも包囲され
 ついには、知恵袋の陳宮が味方の武将の裏切りで捕らえられてしまうという結果に。

 このあたりで、呂布も観念したのでしょう。

 降伏してきて、曹操と対話したのですが。
 ……ここからが、彼らしくていい感じなんですよね。(笑)


 呂布:
 「縄がキツイ。縛るにしても、もっとゆるく縛ってくれ」

 曹操:
 「虎を縛るのだから、それもやむをえんだろう」

 
 
ここで、虎と言われて自尊心をくすぐられ
 ハッピーな気分になった呂布は調子に乗ったようです。
 

 呂布:
 「明公(聡明なる曹操殿)が恐れていたのは俺様のみ。
  どーだ、ここは俺を使ってみては? 俺が騎兵を、
  あんたが歩兵を率いれば天下などスグに取れるゼ!」

 
 いやはや、およそ敗軍の将が吐く言葉とは思えません。

 しかしながら。
 人材集めが趣味の曹操に対しては、まさに殺し文句。

 こんな魅惑的なラブコールを送られて、ゾクゾクしないわけがない。
 「どーしよっかなぁ♪」と、真剣に迷うことになるのでした。

 しかし。
 しかしですね、曹操サマ。

 それまでに呂布が裏切ってきた回数は五回を越えるワケだし。
 「普通に考えたら、殺してしまうべきじゃん」
 と、言いたくなるのですが……。

 どーやら、この時の曹操には
 そういう普通の考え方・計算ができなかったようです。

 なんせ、
 呂布の武もまた、普通じゃなかったりするのですから。


 実際、
 騎馬戦における将兵の運用方法のノウハウに関しても、
 呂布はエキスパートだったりしますし。


 個人的な武力もさることながら、

 無敵の打撃力を誇る騎馬軍団の統率者
 
 としても、非常に魅力的な存在だったと言えるでしょう。

 
 おそらくは、この時 呂布を見つめる曹操の目は、
 かなりヤバイ薬に手を出しちゃって
 トリップこいちゃってる麻薬中毒患者のよーな

 トロォ〜ンとした目であったのではないでしょーか。

 たぶん、そのまま放っておけば
 転落人生まっしぐらのお決まりのコースをたどったに違いないのですが……。
 

 しかし。
 ここで劉備、すかさずフォロー。

 劉備:
 「曹操殿! 丁原・董卓のことはオ忘れかッ」


 んで。

 ようやく曹操も、ここらで悪い夢から覚めたようです。

 曹操:
 「…う。
  そ、そーだなぁ。やっぱり、殺しちゃうとするかぁ……。
  こーゆーヤツは生かしておくと後々ためにならんしなぁ〜。
  よっしゃ! 縛り首の刑に決定〜〜ィ!」

 
と、無情な宣告を下します。


 んで、目論見がはずれてしまった呂布は、

 呂布:
 「ち、ちっきしょーぉおお〜〜〜ッ!
  ええぃ、曹操! せいぜい、気をつけるこったな!!
  そこにいる大耳野郎(劉備)の豚畜生こそ、
  一番の食わせモンだぞぉおおおおッ」

 ……と、まぁ
 最後まで悪あがきして死んでいったのでした。

 ここのところも、どうにも子供っぽい呂布の性格が、よく出ています。
 ほんと、潔くないとゆーか。

 ですが、
 これが呂布の魅力を損なう話かっていうと、そうでもない気がします。

 むしろ、何とも言えない人間くささが感じられて
 ついつい同情したくなるってもんです。(苦笑)

 何だかんだ悪く言われるコトが多い呂布ですが、
 彼のコトを本当に嫌いだと思う人って、少ないんじゃないでしょうか。


 まぁ、そんなこんなで。

 このあたりで、呂布の一代記は終わりです。


 あくまで、個人的な見解ですけど。

 「かぎりなく自分の望みに素直」で、
 かつ「欲しいままに振る舞い」、
 しかし、それゆえに
 「孤独になっていかざるを得ない」……。

 そんな、『強者ゆえの悲哀』を感じさせる彼の生き方は
 痛ましくもあるのですが、やはり好ましく思えて仕方ありません。

 ……なんとなく、ある種の羨望さえ感じてしまうくらいです。

 一度くらいなら、経験してみたい人生と言いましょうか。(笑)


 さて。

 皆さんは、いかがですか?





  なお、呂布の言った大耳野郎ってのは、豚という意味もあるそうです。
  (豚も耳が大きくて、垂れ下がっているため)

  考えてみれば、呂布よりも劉備の方が、後にスケールのでかい裏切りをしでかすわけですから、
  呂布の目も、あながち節穴ではなかったのかもしれませんね。