……だまされた……。久しぶりに、見事に騙された。そう、三国志演義という見事な小説に。
いやね、その。このサイトは『お笑いサイト』なんだけど、列伝とかでは三國志演義ではなく正史とかをメインに紹介しているつもりなんだな。
…で、陳宮に関しては実は詳しく知らなかったので、最初に作った人物紹介では
* 『長所』……「義理堅い」
* 『短所』……「主君を選ぶのが下手」
と、紹介するつもりだった。
まぁ、その。呂布を選んでしまった悲劇の軍師ってカンジの認識だったんだけどさぁ……。
ところがぎっちょん。
実は、この陳宮って男はとんでもないタマだったんですわ。
……ハッキリ言って、すげぇ嫌なヤツですッ!!
では、さっそく 頭脳最高・性格最悪 な男、陳宮について紹介してみよう。
三国志演義で、陳宮の有名なエピソードっていうと、やっぱ
『曹操が董卓から逃亡中、泊めてくれた呂伯奢の家の者を誤解して殺しちゃった事件』
に、関わってしまった場面だろう。
んで、曹操の
『自分が人を裏切るのは全然オッケー!! けど、人から裏切られるのは絶対に許さん!!』
……と、いう発言を聞いて
「曹操とは、何と自己チューなヤツだッ!? も〜、ついていけんわッ!」
などとキレて、曹操のもとを飛び出してしまうのだが……。
そのくだりを読むと、誰もが陳宮をいいヤツだと思ってしまうに違いない。
……んで、陳宮は呂布に仕えるのだが。
曹操に敗れて、呂布と共に捕らえられてしまう。しかし、そこでもやっぱり男らしい。
「呂布は愚かで単純な男だが、曹操殿と違って腹黒いところはない」
「ニ君に仕える気はない。さぁ、さっさと斬るがいい」
と、義理堅いセリフを残して、死んでいく。んで、曹操は、処刑場に向かう彼の後姿を見送って涙を流した……って、箇所も結構
印象的。
そう。
これら演義でのエピソードを読むと、陳宮って男は主君を選ぶ目がなかっただけで、性格は素晴らしい男に思えてくる。
……で、私自身も陳宮に関しては、
「呂伯奢事件に陳宮が居合わせたのはフィクションらしいけど、あの曹操が泣いて惜しんだという話は本当らしいからな。きっと素晴らしい男であったに違いない」
と思っていたのですね。
しかし。
よくよく調べて見ると。
全然、違うのである。確かに、正史における陳宮も素晴らしい。ただし、素晴らしかったのは才能であって、性格ではなかった。…て、いうか性格はむしろ最悪。
そう。自己中心的で裏切り野郎なのは陳宮の方だったのである。
……と、いうのも。
陳宮は最初 曹操に仕え、数年後には決別して呂布につくのだが。その時のやり方が、自己中心的で裏切り者そのものだからだ。
史書には、
『曹操に疑いを持つようになって、曹操のもとを離れた』
……と、具体的な理由は書いていないのだが。
しかし。決別の方法は、それはそれは具体的で綿密な計画を立てたシロモノであった。
なんと、
『曹操が他国に攻めこんでいる隙を狙って、本国をブン捕る』
『都から追い出されて放浪中のプータロー、呂布をスカウト』
『ついでに曹操の親友である張邈をそそのかし、反乱に抱き込んで友情を完全破壊』
……という、見事な三連スロットを決めやがったのである。
では、その辺りの事情を詳しく追っていこう。
陳宮が曹操を裏切ったのは、曹操が父親を陶謙の部下に殺されて徐州攻めを行っていたときのこと。
オヤジを殺され、ブチ切れのマジモードに入っていた曹操は、武将達を洗いざらい引っさげて
『徐州の民 十万人大虐殺』
という、史上名高い ジェノサイドな流血カーニバルを敢行していた。
しかし、そんな派手なお祭りに片っ端から武将を動員していたため、本拠地である兗州のお留守番は荀ケとか程cなどの文官達のみ。
陳宮はそんなところを狙って、最強にして最凶の男、呂布を引きこんで反乱を起こしたのだ。なんとも、目の付け所が素晴らしい。
おまけに、スカウトした男が呂布というコントロールしやすそーな単純生物。女がキッカケで董卓を殺してしまうほどの馬鹿を意のままに操るなど、陳宮にとっては造作もないことに思えたのであろう。
しかし。なにより、ポイントが高いのは、張邈を裏切らせたこと。この張邈って人は、今一つ 我々には馴染みがない地味なオッサンなのだが……。しかし、この張邈に裏切られたことが曹操にとっては一番 ショックであったことは間違いない。……というのも。張邈は曹操にとって、無二の親友だったのである。
そりゃー、曹操には優秀な部下は腐るほどいる。
(腐るほどいるのに、欲張って集めようとするから、陳宮のように本当に腐ってしまう部下も出てくるのだけど)
しかし、優秀な部下はたくさんいても、信頼できる友達は少なかったと思われる。あれほど性格が悪くて陰険で、しかも下品な宦官の孫で、成り上がり野郎の曹操に友達など、めったにいるハズがない。
いや、真面目な話。当時は、宦官の縁者ってだけで凄く冷たい目で見られていたのだ。
そんな曹操にとって、張邈は貴重な数少ない友達。下手こいたら、唯一かもしれない友達を失ったショックは、兗州を失うことよりも大きかったかもしれない。
曹操は常々、家族に言っていたそうである。
「俺に何かあったら、オマエ達は 我が友の張邈を頼るがいい」
自分が死んだときに、我が子を託すことができる友こそ、本当の友ではないでしょーか?
きっと曹操は心の底から張邈を信じていたに違いない。おそらく、張邈という男は有能ではなかったかもしれないが、性格は素晴らしかったのであろう。……性格が素晴らしくなければ、曹操のような男と友達づきあいできるわけがないのだから。
しかし、性格が素晴らしいゆえに、曹操の徐州大虐殺が許せなかった。
「うう…。わが友、曹操よ。父親を殺されたからといって、関係ない徐州の民を殺すとは何事か。友であるゆえに、私は曹操を許せぬ……」
曹操の友人として、そして陳留という要所を任された太守として悩む張邈。
……そこを陳宮はついたのだ。まさに邪悪そのものの策謀センスである。
ありとあらゆる条件を考慮し、おまけに曹操から貴重な友達を引き剥がすという超強力な精神攻撃のおまけつき。……なんとも素晴らしい頭脳と、外道な性格の持ち主ではありませんか。
しかし。この曹操からの離脱劇が、陳宮の頭脳が冴え渡ったピークであった。
芸術的なまでの策謀を実現させたはいいが、ソレを後に活かすことが出来なかったのである。
まず、兗州をあっさり奪うハズであったが、予想外の抵抗を受ける。190センチ近い身長を誇り、関羽もビックリの立派なアゴヒゲを持つという、武将みたいな外見をしている軍師の程cが、見掛け倒しでないことを証明してみせたのだ。
なんと文官のくせに、各地の城を駆けずり回り、行く先々で見事な篭城戦を演じやがったのである。これには陳宮も青ざめたであろう。
「ええい。曹操のクソ野郎。日頃から無駄に軍師を集めていたワケじゃなかったのか!?」
曹操が 病的にまで熱中して集めた軍師コレクションのひとつ、程cが予想外の働きを示したことで、陳宮の戦略にほころびが生じたのだ。
曹操のもとには荀ケやら郭嘉やら、それはそれは多くの軍師がいる。そんな奴らに囲まれていちゃ、陳宮もイマイチ
目立つことが出来ない。献策しても、ソレ以外の献策を出すライバル達がいたら、やりにくくて仕方ない。
陳宮が曹操を裏切ったのは、たぶん陳宮という男は自分が一番でないと気が済まない性格だったからだろう。……そう。曹操ではなく、呂布のもとなら軍師は自分しかいない。やりたい放題だ。
「兗州を奪い、曹操が帰還する場所を奪った上で、原野戦において無敵の力を発揮する呂布を操り、曹操をブチ殺す。そっからが陳宮様のサクセスストーリー。呂布という大馬鹿者にすら大陸を統一させた希代の天才軍師として、永遠に歴史に刻まれるのさァ♪」
……たぶん、そんな壮大な夢を描いて、見事な反乱劇を演出した陳宮であったが。
程cの気迫に城を攻めきるコトができず、おまけに速攻で帰還してきた曹操軍の士気も高さにも驚かされることになる。曹操の兵士達ときたら、徐州での流血カーニバルの余韻もあって、テンションが上がりっぱなしだったのだ。
そんなこんなで。
どーにも分が悪く、呂布・陳宮コンビは撤退することとなった。
(ちなみに陳宮の巻き添えを食った張邈は、敗走の際に殺されている。なんとも気の毒な人だ)
んで。その後の陳宮は、どんどん落ち目となっていく。
そう。呂布は確かに馬鹿な男であり、陳宮は呂布陣営で唯一の軍師。しかし、馬鹿な男だからといって、必ずしも操れるものでもないのだ。……ていうか、呂布は陳宮の想像を遥かに超える馬鹿だったのである。
董卓の侍女に手をつけたことが発覚するのを恐れて、董卓を殺してしまうほどのムチャをする男である。とにかく、理屈が通らない。
腹黒い陳宮はともかく、優秀で誠実な武将である高順にまで
「おめーら、口うるさいってゆーかさぁ。俺様のやることに文句つけんじゃねーよ!」
……とガンくれる始末。
そんな呂布に見切りを付けたのか、またまた陳宮はやらかした。
『 呂布を襲って、殺しちゃおう計画 』
……である。いや、マジですって。
正史『魏書』「呂布伝」の裴注に引かれた『英雄記』という書物の一節によると、
建安元年(西暦196年)、呂布の部下が反乱を起こし城を包囲するという事件が起きたそうだ。
むろん、その計画の裏には陳宮がいたのである。しかし。ここでも、陳宮をミスを犯した。呂布の理屈抜きの思考回路と、恥も外聞もない予測不可能の行動パターンを甘く見たのだ。
城を包囲されたときは、爆睡中の呂布であったが。反乱が起きたと知ると、なりふりかまわず逃げ出した。服も着替えずに、半裸のまま便所の天井の板を突き破り、そこから城を脱出。しかも、普段 冷遇している高順という部下の陣に逃げ込み、ヌケヌケとした顔で助けを求めたのだ。
……で。この高順という男は本当に有能で、あっさりと反乱軍をブチのめして捕まえてしまう。とにかく、反乱とくりゃあ穏やかに済ませられない。共謀者を見つけなければいけないので尋問が始まったのであるが。
反乱軍の実行犯の一人である曹性が、すんなりとゲロったのでした。
「共謀者は陳宮の旦那ッスよ。ええ、間違いないッス!!」
むろん、陳宮としては逆ギレするしかない。
「……こ、このクソガキャ!! なんの証拠があるんじゃぁあああッ!!」
「言え、言ってみされやぁッ!!」
「ああ〜ん!? ……オラ、証拠はねぇだろぉがッ? 俺は無実なんだようッ!!」
……当然、不自然なまでに怒り狂う陳宮を見て、誰もが一目瞭然にコトの次第を悟ったそうだが。さすがに、一人しかいない軍師を殺すわけにもいかなかったのだろう。
めでたく、陳宮は無罪判決を勝ち取ることとなる。
しかし。
当然 その後はあまり信用されることはなかった。当たり前と言えば当たり前なのだが、陳宮の献策も無視されがちになってしまう。……呂布と曹操の最終決戦にいたるまで。
呂布が最終決戦で陳宮の献策を無視して、妻の言葉に従い篭城を選んでしまったのも、あながち仕方なかったことなのかもしれない。
やがて、呂布との長きに渡る戦いに決着をつけた曹操と、捕らわれの陳宮が会見することになるのだが。このときも、やっぱり陳宮は性格の悪さを爆発させることになる。
曹操の
「陳宮よ。ありあまる智謀の持ち主と自認していたのに、今の有り様はどうしたことなのか?」
という質問に対する陳宮の反応が、もぉーヒドイ。ひどすぎる。
陳宮は呂布を指差し
「この馬鹿が俺の献策を無視し続けたから、こーなったんだよッ」
「そーでなきゃ、必ずしも生け捕りにされたりはしなかったんだッ!!」
「とにかく、この呂布だけは救えねぇ男だッ!!」
「臣下としては忠ならず、子としては親不孝者なんだからな。殺されても自業自得だッ」
……と、立て続けに言ってのけたのである。
なんだかなぁ。フツー、そこまで敗者を鞭打てるものだろーか? そもそも人のせいにする前に、自分のやってきたコトを反省するという気持ちは陳宮にはないのだろうか、と頭を抱えたくなる。
んで。
曹操といえば、やっつけた敵を、片っ端から自分の部下にするという人材マニアで有名。
さすがに呂布は危険過ぎるので生かしておけなかったが、陳宮の才能に対しては未練があったらしい。陳宮を再度
召抱えようとした。
だが。
ここで陳宮は意地を見せた。曹操に負けた自分が、曹操に仕えることを認めたくなかったのだ。そう。陳宮は、一番でないと気が済まない男。負けた以上は、生きてても仕方がない。
しかし曹操も食い下がる。曹操の人材収集癖は、立派な病気の域に達しているのだ。
かつて自分に地獄を見せた男である陳宮。
大事な友達を奪い、徐州を征服するチャンスを叩き潰してくれた男である陳宮。
(……ああ。なんて許せない男だ。でも、危険なほど有能な人材なのも事実…。魅力的だ…)
ほとんど倒錯した精神異常者の心境で、曹操は再び 問い掛ける。
「陳宮よ。思い直せ。君が死ぬと、君の妻子と年老いた母親はどうなるのだ?」
暗に、陳宮の家族を引き合いにして脅迫しだす始末。
しかし、ここで陳宮は見事に返したのだった。
「はっはっは。曹操殿。昔から言うではありませんか?」
「孝の倫理をもって、天下を治める者は人の親を害さず」
「仁による政治を天下に布く者は、人の祭祀を断絶せず」
「すなわち、私の家族の命運は あなた次第ということですよ、曹操殿」
キュンッ! 曹操の胸が、さらにときめく。
(ああ。陳宮。……なんて素敵な人材だ。この俺が、見事に一本 取られてしまうとは……)
(…欲しいぜ、陳宮。オマエが欲しい。この熱い思いを、なぜ受け取ってくれないのだ?)
(……いや。むしろ。愛しちゃってるのかも。そう、愛しているんだわ。この男を)
(……入ってきて、陳宮。ワタシの中に。……危険な男ほど、燃えるものなのよぉぉおッ)
たぶん、こんなカンジだったのだと思われる。
このときの曹操の熱い視線は、間違い無く変態のソレだったのではなかろうか?
陳宮は、曹操がそれ以上 口を開く前に、処刑場目指して走り去っていったという。むろん、振りかえったりしなかったのは言うまでもない。
まぁ、そんなこんなで。
たぶん、曹操が陳宮のために涙を流したってのは、
人材を惜しむ気持ちとか、かつての敵に対する感傷的なものだったと推測される。
……間違っても、陳宮の立派な人となりに感動して泣いたってんじゃないのではないでしょーか?
とりあえず、陳宮に関しては「これでもか」とばかりに悪く書きましたが。
……でも、やっぱ個人的には野心と誇りに溢れる陳宮が好きなんですよね。
曹操に仕えなかったのも、曹操に対してのライバル心というか。
たぶん、曹操自身にとっても、陳宮もまた 呂布や袁紹同様に忘れられない好敵手だったのでしょう。 |
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