劉備というと毎回 負けまくり逃げ回っている印象がありますが、
けっして戦争が弱いわけではありません。
黄巾の乱では、それなりに戦功を挙げていますし、
203年には曹操軍の夏候惇を伏兵を使ってボコボコにしています。
袁紹や劉表が劉備を迎え入れたのも、
凄腕の傭兵隊長として劉備が充分な戦力になると期待してのことなのですね。
とはいえ、一流かっていうとそうでもありません。
曹操・曹仁・陸遜などの一流が出てくると完膚なきまでにボロ負けしています。
もともと、史書にまで「先主は書に親しまず…」と書かれるくらいの勉強嫌いだったので、
おのずと限界があったのでしょう。
軍人としては、二流だったと言えます。
政治家としては完全無欠の落第生。
自分から有益な政策を立てたこともないし、
せっかく手に入れた領地を放り出して逃げたことは1度や2度じゃないのだから。
政治家としては三流もいいところ、と言わざるをえません。
しかし、劉備ファンの皆様ッ! ご落胆めさるな。
詐欺師としての彼は超一流ですッ!!
三国時代、彼に勝る詐欺師はおりますまい。
あの呂布をして
「この耳長の豚野郎こそ、一番の食わせ物だぁぁッ」と言わしめているのですから。
なんせ、彼が生涯に裏切った回数、悪質な手口、どれをとっても呂布など相手ではありません。
公孫瓚を見限り、陶謙に取り入り、呂布に許しを乞い、曹操に泣きつく。
前半だけでこれだけ主君を替えています。
さらに、董承の暗殺計画に乗って曹操の命を狙い、
ばれる直前に董承を見捨てて逃げ出し、徐州で独立を果たすも、
曹操の怒涛の襲来の知らせに家族と部下を捨てて敵前逃亡、
袁紹のもとに身をよせ、袁紹を焚きつけます。
なんとも素敵な疫病神ぶり。
袁紹と曹操の正面衝突に巻き込まれるのを避けるように、
別働部隊として南方に転戦、曹仁にボコられると劉表のもとへ。
お家騒動のドサクサにまぎれて暗躍するも失敗、
劉表亡き後は民を盾に長坂橋まで逃げるも、曹操の速攻追撃にあい、
あっさり数万の民を捨てて逃亡。
さらに赤壁の戦いでは、孫権に正面で戦わせ、勝敗の帰趨が決するまで傍観。
その後、敗戦で撤退する曹軍を大追撃!!
積年の恨みをしっかり晴らした後で、トンビが油揚げをさらうように荊州を強奪。
これじゃぁ、孫権もたまりません。しかし、この段階では劉備もまだ力不足。
孫権を怒らせるのはマズイので 「益州を取ったら荊州はお返ししまっせ」と口約束。
んで、同族の劉璋もまんまと騙して、彼の国 益州の乗っ取り大成功。
基盤を整えた以上は、孫権との約束なんて知ったこっちゃありません。
「はーん? 約束ぅ? 知らねー。後は孔明と魯粛クン、よろしく頼むわ」
面倒なことは全て他人にまかせて見事にバックレ。
とにかく、そんなこんなで 晴れて王様となったのでした。めでたしめでたし。
…………フウ……。何回、騙したり裏切ったりしたんですかねぇ……。暇な方は数えてみてください。
文句無しで「三国時代最悪最凶の詐欺師」の称号を、
このオヤジに捧げたいと思います。
しかし、ここで一言。
国を騙し取るなんてスケールのでかい詐欺師はめったにいません。
ハッキリ言って、演義の「嘘泣き名人」・「去勢されたエセ君主」のような劉備よりは、
正史に残る こっちの劉備の方が、たくましくてしたたかで、はるかにカッコいいと
個人的に思うのです。
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