とにかく、このオヤジは強かった。
若干 17歳 青春真っ盛りのセブンティーンの時に、単身 海賊に殴りこみ をかけて
無法者集団を叩きのめしている。
まるで水滸伝に出てきそうなキャラクター。見事な無敵無茶っぷりである。
史実においては、董卓配下の華雄を斬ったのは関羽ではなく孫堅だし、
反董卓連合の諸将の中で董卓と戦火を交えたのは
孫堅と曹操だけであり、勝利を収めたのは孫堅のみ。
強い、強すぎるぜッ。……しかし、ただ強いだけではなかったりする。
まだ董卓が悪役デビューする前、涼州の役人だった時代。
韓遂討伐に赴いた孫堅は、戦果を上げていない前任の征討司令 董卓にムカついて、
上司の長温に 「あの董卓ってヤツ、斬っちまいましょう」 ……と、硬派な進言をしている。
強いだけでなくて、筋を通す御方だったのですね。
まさに、喧嘩番長のネーミングが相応しい人物。
……とは言え。戦争においては事実上 無敵であったが、不運にも37歳で戦死。
いまだ独自の勢力を築けないまま、結果的には袁術の配下の将のまま死んでしまったのが惜しい。
程普・黄蓋・韓当といった人材を集めつつも、あまり領土には興味がなく、
彼らと共にひたすら袁術の下で戦争に明け暮れた孫堅。
たぶん、周囲が敵だらけな袁術のもとなら喧嘩相手に苦労しないと考えていたのだろう。
個人的には、そんな喧嘩番長な孫堅が決して嫌いではない。
むしろ好きだ。
しかし、一言だけ、彼には言いたい言葉がある。
……アンタなぁ。
息子が活躍しなかったら、
袁術の子分としてしか扱われなかったかもしれないんだぞ。(笑)
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