小説「三国志演義」では関羽を倒した男の一人として、
作者に無惨な死を与えられている潘璋だが。
史実における潘璋は、
後世のそのような創作をあざ笑うかのように、
剛胆にして傍若無人な生涯をまっとうしている。
ここでは、演義と史実のギャップが激しすぎる人物の一人である潘璋を取り上げることで、
世間一般における「三国志演義」に対する評価に、ちょいとしたアンチテーゼを示してみたい。
【注意】
別に演義を否定しようってワケじゃないからね。
三国志ワールドを楽しむにあたって、演義による脚色は必要不可欠。
関羽の青龍刀、夏候惇の目玉食い、美姫 貂蝉と呂布の恋、エトセトラ。
これらは全て演義による恩恵だったりしますから。
管理人 天猿は、文学作品としての三国志演義には
多大な敬意を払っております。( いや、嘘じゃないってば!)
んー、なんてーか、その。
演義による脚色で、けっこうイメージ的に損をしちゃっている人物は
魏や呉には、非常に多かったりするじゃない?
もちろん、最近では多くの人物が再評価されてきてはいるんだけど、
中にはスポットライトが当てられないまま、
なかなか日の目を見ない人達も少なくなかったりする。
『関羽を殺した悪党達の片割れ』
として描かれている、呉の潘璋もその一人だと言えるだろう。
とりあえず、まずは比較対象として「演義における潘璋」を紹介しよう。
結論から言うと、演義では
「救いようがないほど情けない、悪役キャラ」なんだな、これが。(苦笑)
夷陵の戦いで蜀軍に追い散らされ、
山中を逃げまどっているところを関羽の息子 関興に発見される始末。
さらに関羽から分捕った青龍堰月刀が、この場合は命取り。
速攻で「仇討ち」ターゲットとして、関興によってロックオン!
おまけに関羽の亡霊まで登場し、ひたすら脅えて転げたところを、
見事に関興に叩っ斬られるといった具合。
演義における潘璋は、完全無欠の雑魚武将 と評価していいだろう。
ところが。
ところがである。
演義では、いいところなしの潘璋ですが。
史実では、大活躍で、美味しいところを取りまくり。
夷陵の戦いにて大勝し、蜀の有名武将を見事にぶっ殺してるんだもん。
……まるっきり逆だったりするんだ、これが。(笑)
三国志演義って、『史実七:創作三 の物語』って言われてるけどさ。
蜀に関する記述は『史実三:創作七』なんじゃないか、ってときどき真剣に思う。
三国志演義における虚実の割合が『史実七:創作三』ってのは、
アベレージでそーなってるだけであって、
実際には箇所によってはかなり史実と食い違っていたりするのだ。
特に潘璋など、その言葉のマジックを証明する代表選手の一人。
なんせ彼に関しては、関羽を捕らえたコトに関する記述以外は、ほとんど正反対なのだから。
マジな話。
史実における潘璋は、演義での情けなさが想像もできないほどの無敵ぶりなのだ。
関羽を追い込み、復讐戦に挑んできた蜀軍は返り討ち。
夷陵の戦いの後も12年も生き続け、
必要以上に余生を楽しんでいたりする。
しかも、贅沢を心から愛し、豪奢な服で身を飾るのが大好きで、
その金欲しさに、罪のない人をぶっ殺し、財産を没収していたのだから、
とんでもない男である。
おまけに数々の不法を犯しつつも主君である孫権からは不問とされ、
最後は畳の上での大往生。
ある意味、物語以上に憎たらしい悪役キャラと言えないでもない。
ほんと、「憎まれっ子 世にはばかる」という言葉の
これ以上ない見本だよ、まったく……。
もっとも、孫権が潘璋の蛮行に目をつぶっていたのは
別に孫権が法令にいい加減な人物だったからではない。
諸葛亮が法正の不法行為に文句が言えなかったように
孫権も潘璋という手駒を手放すことができなかったのだ。
素晴らしい軍事的立案能力を誇った蜀の軍師 法正と同様、
潘璋もまた、主君によって例外的存在として認められていた人物と言える。
彼の率いる部隊は数千に過ぎなかったが、
優に1万人分の働きをしたと伝えられている。
コストパフォーマンスに優れているだけでなく、
合肥の戦いでは張遼の奇襲による全軍の混乱に歯止めをかけるといった離れ業を演じた
状況判断能力に優れた希有の武将。
孫権の目から見ても、
「他に替えがきく人材」ではなかったのだろう。
「主君にすら文句を言わせない」
凄く有能で、凄く迷惑な人物。
それが、史実における潘璋という男だったのだ。
ちなみに。
そんな無敵悪役な潘璋と比べると、晩年の関羽は今ひとつ。
お世辞にも軍神とは呼べない、未練たらしい悪あがきをしていたりする。
演義によって不当な描かれ方をした潘璋に対して
多少なりともバランスを取るべく、
演義では無視された史書の記述のひとつを紹介してみるとしよう。
『呉書』呉範伝によると。
麦城の戦いにて、関羽はいったん降伏を孫権に申し入れていたそうな。
しかし占いを得意とする呉範が
『関羽には逃亡の気があります。降伏は偽りでしょう』
と予言して、潘璋が退路に網を張ったところ、
彼の部下 馬忠が逃げる関羽を捕らえたという。
そのことは演義には一言も触れられていない。
関羽の武勇を汚すエピソードだからだと思われる。
え? なに?
そんな話、聞いたこともないだって?
うーん、しかしだ。
申し訳ないけど、これってかなり信憑性が高い記録なんだよ。
だって、後世の説話とか注釈じゃなくって、正史の本編に書かれている記述だし。
信頼価値の高い資料でも、意図的に無視されることはあるっていういい例なんじゃないかな。
あまり広く知られていないのは、あまり広く知らしめる必要のない話だからだと思う。
世の多くの学者さんなり小説家さんにとって三国志は「飯のタネ」だし。
好きこのんで関羽という大事な商品の価値を下げるような真似はしないって、そりゃ。(苦笑)
ハッキリ言ってしまえば、個人的には
小細工を弄さない分、晩年の関羽よりは潘璋の方が好ましく思えちゃうくらいだ。
( 潘璋によって財貨を没収されたり、殺された人達には申し訳ないのだが )
徹底的に自分の力量に自負を持った上で、
思いっきり好き放題に振る舞った潘璋って男は、
それはそれで悪党っぷりが見事に思えるんだよなぁ……。
なんて言うか、肉食動物的な強さを感じるというか、さ。(笑)
後世において神格化された関羽に対し、貶められる形となった潘璋ではあるけど
もし生前の潘璋に、それを教えることができたらどう答えたのだろうか、
と想像してみるとなかなか楽しかったりする。
おそらくは自己の欲望にひたすら忠実だった彼のこと、
「人生は生きてるうちにどれだけ楽しむか、だ。
死んだ後で、俺がどう書かれようと知ったコトか」
と、うそぶいて不敵な笑みを浮かべて見せるのではあるまいか。
……もっとも関帝廟の賽銭箱に対しては、
多少は興味を示すかもしれないけれど。(笑)
関羽の降伏の一件は、紹介するかどーかで迷ったのですが。
一応、あくまで歴史の見方のひとつ、として受け取ってもらえれば、と思います。
実際、正史ったって、色々な記述が残されていたりしますし。
実のところ、どれが本当に正しい話かなんてわからなかったりするんですよ。
個人的には、最近 呉にも魅力を感じているので。
関羽の件で評価の低くなりがちな潘璋を再評価するにあたっては、
関羽にもちょっぴり厳しい評価材料を提示してみた次第。
まぁ、潘璋に関しては「演義でも史実でも、悪役キャラ」という
評価に落ち着くことになってしまいましたけれど。(苦笑)
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