漢王室の権威を握り潰し、洛陽を炎上させた三國志前半における最大の怪物
董卓 仲潁  〜 とうたく ちゅうえい 〜
【 生没年 】

? 〜 192年
分類 君主  破滅 型
長所 人並みはずれた武勇と野心
【 出身 】

涼州 隴西郡
短所 洒落になってない暴虐と狂気
備考 死んだ後、ロウソクになった
列伝
 
 
はじめは羽林朗に任じられ、北方の異民族との戦いに功績を挙げて、中朗将に昇進した。黄巾の乱では敗北して免職されたが、後に復職して涼州を拠点に力を蓄えた。やがて、董卓の武威を買った何進に呼び寄せられる。
 何進が殺害されると、洛陽に入り政権を握った。少帝を廃して献帝を立て、独裁者として振舞ったが、反董卓連合軍が挙兵すると、洛陽から長安への遷都を強行した。しかし、まもなく王允と結んだ配下の呂布によって殺害された。


 董卓は、ある意味では非常に大きな運の持ち主であったとも言える。

 宦官と外戚によって腐敗していた漢王室が、ちょうど両勢力の共倒れになって無秩序状態にあった時に入朝することができたからだ。

 しかし、その大きすぎる幸運が彼を狂わせてしまったのであろうか。

 事実上、後漢王朝を乗っ取るという権勢の極みを成し遂げた董卓ではあったが。その後は、洛陽を炎上させ、市民から略奪をおこなうなど、数々の暴虐の限りを尽くすこととなる。

 そんな彼の命数は長くはなく、やがて配下の呂布・王允の手にかかり死を迎えることとなる。

 董卓の死体は市場にさらされ、その暴政に苦しまされた市民は、遺棄された死体から流れる油に火を灯し、恨みを晴らしたという。