孫呉三代に仕えた宿将、火計をもって赤壁を紅蓮に染める |
黄蓋 [ 公覆 ] 〜 こうがい [ こうふく ] 〜 | |||||||
【 生没年 】 ? 〜 ? 年 |
分類 | 武将 武力 型 | |||||
長所 | 実は異民族討伐のエキスパート | ||||||
【 出身 】 荊州 零陵郡 |
短所 | 年の割に無茶をする人 | |||||
備考 | 火の玉 特攻ジジイ |
列伝 | ||||||||
はじめは郡の役人だったが、孫堅の挙兵に従い、董卓討伐の先鋒をつとめた。孫堅の死後は、孫策に仕えて山越(呉国内で反乱・略奪をおこなった異民族)の鎮圧にあたっている。 孫権の下では、赤壁の戦いに周瑜の指揮下で出陣し、曹操の船団を火攻めにする策を立てた。曹操に投降するように見せかけて、火を放つ事に成功、これにより武鋒中朗将に昇進する。 その後も異民族の鎮圧に活躍して、偏将軍に任じられるが、武陵太守のときに死去。享年は不明。 |