曹操・曹丕・曹稙に愛された佳人が辿ったのは、あまりに残酷な運命。 |
甄皇后 〜 しんこうごう 〜 | |||||||
【 生没年 】 182 〜 221 年 |
分類 | 美女 傾城・悲劇 型 | |||||
長所 | 三国時代一の美貌 | ||||||
【 出身 】 冀州 中山郡 |
短所 | 三国時代一の不幸 | |||||
備考 | 息子が仇討ちしてくれた |
列伝 | ||||||||
魏の文帝 曹丕の皇后。 甄家は漢代の名門で、父の逸は県知事であったが幼くして父を亡くし、 袁紹の次男・袁熈に嫁いだ。 曹操軍の攻撃を受け、落城の際に真っ先に館にのりこんだ曹丕に見初められ、妻となる。 その類まれな美貌で評判の高かった彼女を狙っていた曹操は、 先を越されたと知って「この戦いは、あいつのためにしてやったものだ」と言って苦笑したという。 曹丕の寵愛を一身に集め、曹叡(のちの明帝)を生み、曹丕が帝位につくと皇后となった。 しかし、帝位についた後に多くの寵妾を得た曹丕は、次第に彼女を疎んじるようになる。 やがて 見捨てられたと知った彼女が恨み言を口にしたことを口実に、 曹丕は彼女に自殺を命じた。 一説には、彼女のライバルであった郭后の讒言であったとも伝えられている。 なお、曹丕の弟の曹稙も、甄皇后に深い思いをよせていたようだ。 曹稙の著した名詩「洛神賦」は、彼女の死後、曹稙がその思いの丈を歌ったものと言われている。 |