馬超をも恐れさせた、怪力無双の親衛隊長 |
許楮 [ 仲康 ] 〜 きょちょ [ ちゅうこう ] 〜 | |||||||
【 生没年 】 ? 〜 ? 年 |
分類 | 武将 武力型 | |||||
長所 | 牛を引きずる程の怪力 | ||||||
【 出身 】 豫州 譙国 |
短所 | 曹操の言うコトしか聞かない | |||||
備考 | 予知能力まで持っている |
列伝 | ||||||||
怪力の持ち主で、曹操に近侍して武名が高かった。 曹操の暗殺を未然に阻止するなど、親衛隊長として信任された。 特に馬超との戦いでは、人間離れした働きで 窮地に陥った曹操を救っている。 また、講和交渉の場では、暗殺を目論んでいた馬超に対し、威圧して手を出させなかったという。 戦場では虎のように勇猛だが、普段はボーッとして見えたので、軍中では「虎痴」と呼ばれていた。 ( 本名よりもアダ名の方が通りがよかったらしく、馬超も彼のことは「虎候」と呼んでいる ) 曹丕の代になっても厚遇され、武衛将軍に昇進、曹叡の代まで魏に仕えた。 【 考察 】 軍の指揮官というよりは、ボディーガードとして曹操に重用された武将。 武勇に優れていただけでなく、 人柄もまた『ボディーガード向き』なものであったようだ。 曹操の宗族にして魏でも屈指の名将 曹仁から、 友好を深めるべく会話の誘いを受けたときも 「魏王がまもなく席につかれるでしょうから」 と、にべもなく断り、そのまま宮殿の外で警護を続けたというエピソードの持ち主。 後日、曹操から理由を尋ねられた際には、 「相手が主君の親戚であっても、自分が仕えるのは あくまで主君。 個人的につきあう必要はありません」 と、答えたという。 あるいは、そのように隙がない許楮だったからこそ 幾度となく主君の危機を救えたのかもしれない。 なお、正史では珍しく身体的特徴を詳しく記述されている人物でもあり、興味深い。 文献には、 「身長は8尺(約186センチ)、腰周りは十囲(約120センチ)、容貌は雄々しく毅然として…」 ……と、記されてある。 この記述だけ読めば、アンコ型で鈍重な体型の持ち主という印象を受けるが、 実際には史書にも特筆されるほどの身体能力の持ち主であった。 |