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《 かの人のため 




    今回の挙には賛同いたしかねます

    時節をお待ちください

    曹操が自壊するのは自明の理です

後悔などない。
恥じることもない。
損なったことなど何もない。

将軍が勝てばそれで良し。
私の見通しが浅かっただけのこと。
私の見込み違い、それで良い。

将軍が負ければ…
それは私の弁が立たなかっただけの事。
私の愛されぬ強弁。
それは…

いずれにしても、私は…
将軍の「王佐」としては不適格であったということよ…




光の射さぬ部屋で、溜息は響き返る。


    将軍のみのために策を講じ、略を語りましょう

    将軍は思うままに覇を唱えてください


積年の忠勤に対して。
幾多の献策に対して。
主君が報いたもの。
それがこの闇黒の部屋。


しかし、それはいたしかたのない事。


    ご子息方に所領を分けられるのはいかがかと存じます

    逢将軍の言われることも一理ありますが、私の考えは違います


愛されぬ強弁に対して。
家中の不和を招いたとして。
主君が与えたもの。
それがこの静寂の部屋。

しかし、罪は罪。咎は咎。
受け入れなければならない。




ふと。
遠い記憶が、蘇ってきて。
縛られた心は、帰ろうとする。

今となっては懐かしき、あの出会いの日へ。
彼方へと押し流されてしまった、あの邂逅の時へ。


    将軍には天下を論じる資格も、そして義務もございます

    不躾ながら、将軍のような偉才を待ち焦がれておりました


会見の場で、偽らざる思いを伝えた。訴えかけた。
仕えるべき英主を得た喜びに、声を震わせながら。



そして、はからずも我に返り。

かつての己の言葉が、ただただ胸中に虚しく響く。





いつからだろう。
大志を語るのが恥ずかしいと思い出したのは。
大望を語り合うことがなくなったのは。

    今こそ曹操を討つ絶好の好機!

    にも、かかわらず…。将軍、貴方は何を迷われる。
    子供一人と天下、どちらを望まれるのですか!?

そして、いつからだったか。
ふたりの間に、言葉がなくなったのは。

己が胸に誓ったこと。
一人の男に天下を取らせること。

それは、泡沫の夢と化してしまうのか。


    将軍の目となり、耳となりましょう

    将軍のために語り、将軍のために…

    将軍のために……




刹那。
闇黒を破る光、静寂を破る声。


「田参謀!」

「袁将軍、官渡にて敗戦!
 撤兵を与儀なくされたそうです!」

「これで参謀も再び…」

「いや、それ以上に。
 きっと参謀を以前より重用なさいますよ!」


敗戦の報は凶報なれど、
獄中の功臣にとっては吉報となりうると。
興奮気味に、己を慕ってくれていた士卒がまくしたてる。


……けれども。
その言葉には、ただただ首を横に振るしかない。

そういうものでは、ないのだよ、と。
そうであっては、いけないのだ、と。





    将軍はお優しすぎますぞ

    天下のためには、多少の犠牲も必要なのです


将軍。
昔、私はそのように申し上げましたよね。
あの時、貴方は笑って聞き流されました。

ですが。
将軍、最後ぐらいは私の強弁、用いてくださいね。
私の命と、家中結束では不釣合いですか?





しばしの時が立ち。
再び部屋は闇黒と静寂で満たされる。
何事もなかったかのように。
そして、何者もいないかのように。




    私が望むもの?

    私は将軍の世を見てみたいのです