三国劇場 |
お手紙大作戦 | |
作: 天猿 |
建安二十四年(西暦219年)の正月。
蜀の黄忠は、魏の夏侯淵を斬り、漢中を制圧。
復讐戦に赴いた曹操も、勝利を収めることはできず、漢中から撤退。
同年 七月、劉備は『漢中王』を名乗る。
この時期の蜀軍勢の勢いには、すさまじいものがあった。
……同盟国の呉にすら、脅威を抱かせるほどに……
……おそるべし、と言うしかないな。今の蜀軍の勢いは。 なぁ、陸遜よ。 |
は。 しかし、感心ばかりはしてられますまい? 呂蒙殿。 |
ああ。陸遜の懸念しているとおりだ。 既に、赤壁の戦いから十年。 我々 呉と蜀の関係も、純粋な同盟関係とは言えなくなっている。 |
いや、それどころか。 荊州を巡る呉と蜀の関係は 年々 緊張の度合いを増すばかりだ。 |
四年前、合肥の戦いの直前。 関羽が突如、五千の兵を率いて長江を渡り、 攻め込んでこようとしたこともありましたね。 |
そうだ。 あのときは、甘寧と魯粛殿が食い止めたがな。 |
今や、我らにとって関羽は 魏以上に危険な存在といっても過言ではありませんな。 関羽が四年前と同じ事を繰り返さないという保証は、 どこにもないのですから。 |
……同じ、ならいい。 だが、今度は五千の兵ではなく、 数万の兵だったらどうする? |
……………ッ!? |
今、時の勢いは蜀軍にある。 もし、関羽が我々に本格的に牙を向いたら、どうなる? |
防ぐのは、容易ではありませんね。 |
容易ではない? 違うな。 至難そのもの、と言うべきだ。 |
…………。 |
時の勢い、というものを甘く見るなよ。陸遜。 |
……呂蒙殿が、かねてより関羽を警戒していた理由が、 ようやく理解できた気がします。 |
…………。 |
ただでさえ、『万人の敵』と恐れられる関羽。 その関羽に、時の勢いが加わると……。 確かに手がつけられません。 |
……うむ。そこで、だ。 俺はこの機に、関羽を取り除こうと思っている。 |
なんと!? しかし、策はあるのですか? |
むろんだ。 関羽の注意は、対関羽強硬派である私に対して向いている。 その私が病で動けないと、噂を流せば。 関羽も安心して魏に対して侵攻するのではないか? |
た、確かに。 |
その上で 関羽の後背を、我らが討つのだ!! |
そ、そこまでお考えでしたか。 わかりました。……ならば私も覚悟を決めましょう。 呂蒙殿の後任は是非 私に任せて下さい。 |
……ほう? しかし、陸遜よ。 貴公は、呉以外では無名の存在ではないか。 関羽に、なめられてしまうのはないか? |
それが、狙いなのですよ。(笑) その私が呂蒙殿にかわって関羽に対すれば。 間違いなく、関羽は油断しましょう。 |
ふむ……! |
また、新任の挨拶をかねて関羽に手紙を出します。 その内容いかんでは、さらに関羽の注意を我々から そらすことができるかと……。 |
手紙? ……いや、詳しくは聞くまい。 決めたぞ、陸遜。俺は、オマエの策に乗ろう。 共に、強敵 関羽を倒すのだ!! |
おおおおおおおおッ!! |
おりゃああああああああああッ! |
げげげッ!? |
ば、馬鹿な!? |
ふざけた手紙を送りくさってぇッ! 呉のクソガキ共、皆殺しにしちゃるわぁッ!!(怒) |
ど、どーゆーことだ、陸遜ッ! おまえ、いったいどんな手紙を関羽に送ったのだ? |
う……。 私はただ、 関羽の注意を我々からそらすために、ですね……。(汗) |
いいから、具体的に説明してみろ! 怒ったりしないからッ!! |
……え、えーと。 こんなカンジです……。 |
拝啓、親愛なる関羽様へ。 これは不幸の手紙です。 この手紙を受け取った方は、 半年以内に十万通の同じ内容の手紙を 不特定多数の方に出してください。 なお、以前 この手紙を受け取ったにもかかわらず、無視した人は、 顔のヒゲが一本残らず抜け落ちて死にました。 呉の陸遜より♪ |
な、なんじゃこりゃ? |
つ、つまりですね……。 この手紙を受け取れば、ヒゲを大切にしている関羽のこと。 |
………。 |
戦争どころではなく、 必死に手紙を書いて日々を送ることになるに違いない。 そう、考えたのです。 |
………………。 |
しかし、まさか この私の策が破れるとは……! やはり、時の勢いとはおそるべし、といったところでしょうか。 |
…………………………………。 |
どういうことでしょう、父上? 呉の陣営で混乱が起きているようですが……。 |
ぬぅ? 混乱、とな? |
物見からの報告によると。 どうやら、呂蒙が部隊を引き連れて、 陸遜を追いかけ回しているようです!! |
……ええぃッ。 失礼極まる手紙を送ってきたり、同士討ちを始めたり。 若い者の考えることは、さっぱりわからんわぃッ!! |
天猿 : | 正しくは、陸遜の送った手紙は 非常にへりくだった内容の挨拶であり、 見事に関羽を油断させることに成功し、 彼を魏に侵攻させています。……念のため。 この当時の呉にとっては、関羽は魏以上に危険な存在であったと 言ってもいいでしょう。 西暦215年に関羽が呉領へ侵攻を企てていたのも、事実ですしね。 |