曹操の野望を砕き歴史の流れを変える。事実上の赤壁の主役。
周瑜 [ 公瑾 ]  〜 しゅうゆ [ こうきん ] 〜
【 生没年 】

175 〜 210年
分類 提督  戦略・統率型
長所 美形・三国屈指の戦争センス
【 出身 】

揚州 盧江
短所 短命
備考 奥さんは美人で有名
列伝

 孫策と同い年で、背は高く眉目秀麗、音楽にも造詣が深かったという。

 孫策とは早くから親交を結び、同じ橋公の姉妹を妻とした。張昭とともに孫策を助けて、呉の政権を安定させるなど、建国の際に大きく貢献した。

 孫策の死後は、孫権のもとで軍事面を指揮し、劉表配下の黄祖の征伐に成功。長年にわたって展開してきた「孫堅の仇・黄祖」との戦いに決着をつける。

 曹操の南征に対しては、魯粛と主戦論を主張。軍勢を率いて赤壁の戦いで曹操を破った。1年後には、激戦の末に重要拠点 江夏から魏の名将 曹仁を撤退させることに成功する。
 勢いにのった周瑜は「劉璋、張魯を平定し、馬超と同盟して天下を二分する」という大計画を立てたが、実行に移す前に病に倒れ死去した。

 もし、周瑜にあと1年の時間があれば、その後の歴史はまったく変わっていたと言われている。