呉と蜀の政略結婚によって劉備に嫁いだ、筋金入りのオテンバ姫
孫 尚香  〜 そん しょうこう 〜
【 生没年 】

? 〜 222?年
分類 美人  危機生産 型
長所 女の子なのに、武術が得意
【 出身 】

揚州 呉郡
短所 女の子なのに、暴れる
備考 趙雲が天敵
列伝

 孫策、孫権の妹。幼い頃から武術に興味を持ち、腰に弓を帯びることを好んだことから、『弓腰姫』と呼ばれた。赤壁の戦いの後、劉備が荊州にて力をつけていく様を警戒した孫権が、劉備との関係を強化するために持ちかけた縁談によって、西暦209年に劉備の妻となる。

 正史に残っている『 侍婢百余人、皆親執刀侍立 』という記述によれば、侍女達にも薙刀を持たせて輿入れし、劉備を大いに驚かせたという。

 後年、呉と蜀の関係が悪化し、211年に帰国。この時、劉備の後継ぎの4歳になる劉禅を連れて呉に帰ろうとしたが、これは趙雲に阻まれた。

 呉に帰国した後の記録及び、彼女の本名は残っていない。一般には孫権の子 孫郎の別名『孫仁』、または『孫夫人』と呼ばれることが多い。


 なお、演義では222年に劉備が夷陵の戦いで戦死したという誤報を聞き、悲しみのあまり長江に身を投げるという最後を迎えている。
 これをはじめとして彼女に関して演義で記述されている多くはフィクションであるが、それらは同時に彼女が後世の作家の創作意欲をおおいに刺激する個性の持ち主であったことを示している。