戦乱の中、捕らわれて小覇王と出会う。乱世に咲いた恋の華。
大喬  〜 だいきょう 〜
【 生没年 】

175年頃? 〜 ?
分類 美女  家庭 型
長所 美人
【 出身 】

揚州 皖
短所 男運が悪い
備考 旦那さんは小覇王で有名
列伝
正史では「大橋」と書く。皖の橋氏の娘。
双子の絶世の美女で、妹の小橋と二人揃って「二橋」と呼ばれていた。呉の孫策が橋氏を攻めたときに捕らえられ、大橋は孫策、小橋は周瑜に、それぞれ妻として娶られる。

孫策と周瑜はもともと義兄弟の契りを結んでいたが、二喬を妻としたことで、事実上の義兄弟となる。

史書に残されているエピソードとしては、孫策が彼女達について語った言葉が有名。
孫策は周瑜に次のように言っている。

 「大喬・小喬は俺達と結婚できたのを喜ぶべきであろうな」

孫策の自信家ぶりを示す逸話である。

しかし実際のところ、結婚して1年半ほどで孫策は暗殺されてしまい、大喬は早い段階で未亡人になってしまっている。彼女にとって、喜ばしい結婚であったかどうかは、疑わしいところ。

なお、孫策の娘は成長した後に、陸遜に嫁いでいる。
孫策は生前、陸遜の父がわりであった叔父を殺害しているため、その婚姻は孫家と陸家の和解を示す政略的なものであったのは間違いない。

陸遜に嫁いだ孫策の娘が大喬の子であったかどうかの記述は史書に残されていないが、もし大喬の娘であったなら、夫を早くに亡くした後も、彼女は様々な苦労を重ねたのではないかと思われる。