魏の五将軍で最も安定した力を持つ男。その生涯に敗北の二文字なし。 |
徐晃 [ 公明 ] 〜 じょこう [ こうめい ] 〜 | |||||||
【 生没年 】 ? 〜 227 年 |
分類 | 武将 統率 型 | |||||
長所 | 無敗 | ||||||
【 出身 】 并州 河東郡 |
短所 | 友達が少ない | |||||
備考 | 元は董卓軍残党の配下 |
列伝 | ||||||||
はじめは楊奉に仕えたが、曹操に帰順し、 官渡の戦いでは袁紹の輜重を急襲、勝利のきっかけをつくった。 荊州の平定や韓遂、馬超の討伐にも出陣し、戦功を重ねる。 関羽が樊城の曹仁を攻めたときも、救援に駆けつけ、 関羽が設置した幾重もの堅陣を次々と突破し、関羽を敗走させている。 大勝利の後も、整然と統率された徐晃の軍営を見て、巡察中の曹操は絶賛したという。 曹丕の代には右将軍に昇進し、曹叡の代にも呉の諸葛瑾を敗るなど、 押しも押されぬ魏軍の重鎮であったが、ひかえめで慎重な性格から 私的な交際を広げることはあまりなかった。 戦場においてのみ、自己を表現する職人のような男であったと言えるだろう。 |