【 孫策 】



『 狂気の天才 』


三国時代において、この言葉がもっともよく似合う人物が
呉の小覇王 孫策だと思います。



若干17歳で旗揚げして、
20代にして呉の基礎を築いています。

圧倒的カリスマ性と軍事的才能を誇る
天才型の君主だったと言えるでしょう。



一般的には、呉の初代は孫堅と言われているのですが
この孫堅って人は
まったく領土基盤を築かないうちに死んでしまった、
失格当主だったりするので。


事実上の、呉の建国者は
孫策だったりするんですよね。
( いや、マジな話)



また、あまり注目されていないことですが、孫策は

「軍師いらず」の君主

であったりもします。


実は周瑜が孫策に合流したのは、
孫策時代の後半。

しかも記録を読む限り、
この時期の周瑜に軍師らしい発言はありません。


意外かもしれませんが、孫策とは

「軍事計画の立案能力と実行能力を
兼ね備えた、希有の君主」


……だったりするのです。



し か し な が ら。


天才にありがちなコトなのですけど、

精神の方も常軌を逸していたようでして。



ありていに言うと

「狂っていた」としか思えないんですよ、この人。


確かに、味方に対しては
良い君主であったかもしれません。

家臣を信頼しましたし、
領民も大事にしました。


しかし、敵に対しては
とことん容赦がなかった御方であったりもするんです。


西暦199年、宿敵 黄祖との間で繰り広げた

【沙羨の戦い】

では、二万人もの敵兵の首を斬り落とし、
さらに一万人を長江に追い落とし、溺死させたとか。



地獄の番犬 ケルベロスも真っ青の
血に飢えたケダモノっぷりと言わざるをえません。(苦笑)



そんな孫策の戦いぶりを聞いて

曹操は心中おだやかでなく、よく大声で


( 狂犬相手では、喧嘩にならん )


──
  『呉歴』より ──


と、言っていたとか。



三国時代 最高の軍略家 曹操をして、
尻込みさせるあたり、いかに難儀な人物であったか
うかがい知れるというもの。



……とは、言え。


世間一般的における 『熱血漢の快男児』 という
孫策に対するイメージが間違っているとまでは言いません。


少なくとも、彼の味方にとっては
限りなく魅力的な君主であった事も確かなのですから。


しかし。


あくまで個人的な見解ではありますが、

「彼の本質は 『好戦性と狂気』 にあったのではないか」

そう思えてならないのです。


……と、言うのも。


彼の母親である呉夫人が見たという夢の逸話が
暗示的な話だったりするんですよね、これが。


話の内容としては、

孫策を宿した時は月が、孫権を宿した時には太陽が

それぞれ胎内に入って来た夢を見た、


という「いかにも」な話なんですけど。


しかし、予知夢としては
なかなか深いところをついていたとも言えます。


結局、孫策という人は

「治世を照らす太陽」

にはなれなかった人物なのですから。



「乱世という闇夜の中でのみ、光を放つ月」

としての運命を、
背負って生まれてきた男だったのかもしれません。




弟の孫権が、まだ少年だったころから

重臣達が集まる会議に列席させ、

一同に対しては

「いずれオマエ達が仕えることになる、俺の弟だ。
ゆめゆめ、おろそかには扱うなよ?」

と、紹介したとか。




……あるいは、孫策自身も気づいていたのかもしれません。



自分が、月でしかないことに。

いつか、己の場所を太陽に譲らねばならないことに。




【 ネタバレコーナー 】

【 使用ソフト・手法 】  
丸ペンによる主線 & Painter6.0・Photoshop6.0による加工

【 作業時間 】
5時間半

【 参考資料 】 
梁慶一:『新暗行御史』 ドルソ



【一言】 

「コレのどこらへんが、三國志イラストなんだろう……?」

ええ、描いた本人が一番 わかっていますとも。(苦笑)


以下、言い訳。


イメージの投影、としての
「狂犬」を描いたつもりだったのですけど。

地獄の番犬 ケルベロスを
意識してしまったのが間違いのもとでしたねー。

どっからどーみても、
何かの召還魔法を使っているよーにしか見えない
絵になってしまった次第。


……とは言え。

頭の中で描いていた絵を、
ほぼ完全に形にすることができましたし。


実は、かなりお気に入りの作品だったりします。(笑)